◆土佐の高知の朝倉界隈◆

2012年2月26日 (日)

★自治会にて防災に関する講演会開催

◆我が住む町、若草南団地自治会にて、防災に関する講演会を開催することになりました。昨年に引続き、開催となりました。

正式な自治会が発足して、まだ数年、私も、ここ何年か自治会には参加しておりますが、同じ団地に居住している皆さんの、お顔と名前が一致しません。

自治会に参加しているのは、64世帯。自主防災組織にも加入しており、まだ組織としての活動がこれからといった状況でしょうか。

私自身も防災には多かれ少なかれ関心があり、今年は自治会として一歩前に進みたいと考えております。防災に関する情報がありましたら、ブログを通じて教えていただければ幸いです

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2012年1月 4日 (水)

★今年の行動スタートは朝倉神社の初詣!!

2012年(平成24年)、新年明けましておめでとうございます。久しぶりの投稿となりました。私の今年の行動スタートは、地元、高知市朝倉にある朝倉神社の初詣となりました。

せっかくですので、写真や動画で朝倉神社をご紹介します!!

◆朝倉神社
天平文化が華開く時代、古事記・日本書紀・万葉集が次々と成立する。古事記撰進の翌年、元明女帝は追いかけるように「風土記」の撰述を命じた。

和銅6(713)年のことである。この「土佐国風土記」によって、「朝倉郷・朝倉神社・天津羽羽神」は中央に知られた。今を去る1,300年もの昔、すでに祀りが行われていたことがはっきりとしているが、神社の起源となると、更に古い持代であったと思われる。

「延喜式」にも載り、国内祈願を土佐神社と交代で行うほど由緒ある神社で、神領給田も多く、高い社格が伺われる。

長い年月を経た今、夏祭りの宵には長い参道の両側に夜店が並び、おどろおどろしい絵金の台絵馬が立ち、拝殿に祈願する老若男女の大波がつづく。秋のおなばれ(御神幸)も、氏子たちによってみこしが行列を作る。国指定重要文化財の名に恥じない神社である。

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●朝倉神社の夏祭り
 毎年7月24日の夏祭りには6台の台絵馬が立ち、24枚の芝居絵を見ることかてきる。給は、
絵金のほか、河田小龍島内松南の作品もある。

参拝者は、提灯に照らされた芝居絵を貝上けながら台絵馬をくぐり、拝殿に進むことになる。また、拝殿付近には、昔から小学生による自作の絵馬も
立てられる。

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では、下記の動画をご覧下さい。

今年も、よろしくお願いします!!

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2011年8月17日 (水)

●我が住む街、若草町の地名由来!!

私が居住している高知市若草南町に来て、もう44年が立つ。

当時の住所は、確か高知市朝倉戊だったと記憶するが、そんな若草町も昔は田んぼがいっぱいあったぜよ。今ではマンション・アパート等が立ち並び昔の面影がなくなりつつある。

そんな我が住む街、若草町の地名由来の記事が高知新聞に掲載されていたのでご紹介します。

★若草町の地名由来
  若草町-わかくさちょう。

高知市朝倉地区にある町。戦後まもなく小字で生まれ、1978(昭和53)年に独立した町名となった。88年には南に隣接して若草南町もできた。

国道56号(土佐道路)の北側に住宅が並び、高知若草養護学校子鹿園分校、朝倉第二小などがある。

その成り立ちについて、1949(昭和24)年3月24日付の高知新聞に。〝その名も若草町″という見出しで、こんな記事が出ている。

「市ではいまなお軍国時代の名をとどめると市朝倉の旧練兵場の呼び名を改めてほしいとの地元の声にこたえ四月一日から市朝倉字若草町と改ためることになった」

練兵場とは、歩兵第44連隊のこと。現在の高知大学や周辺の広大な敷地に、兵営(13・2万平方㍍)、練兵場(16・5万平方㍍)、病院、射的場、墓地などが設けられ、数多くの兵士が訓練を受け、出征していった。

戦争が終わって、44連隊が解散したあと、練兵場跡地には農和、瑞穂の二つの開拓団の農家12戸(22人)が入植して畑をひらき、麦などを作っていたらしい。

その人たちが 〝旧練兵場″の通り名を敬遠したのだろう。

そして、広々とした開墾地に萌え出る作物の緑に生活再建の夢と願いをこめて、〝若草″という町名を選んだのかもしれない。(片岡雅文)

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