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2013年1月 6日 (日)

★坂本龍馬青春の地、田中良助旧邸訪問-②

昨年、2012年11月18日(日)に、坂本龍馬青春の地として知られる、高知市柴巻にある田中良助旧邸と八畳岩を訪ねた時の、動画をアップしました。また、写真も撮ったき、観て下さい。

◆柴巻での龍馬の伝承
龍馬が柴巻に滞在した折りには、屋敷にある小さな池にたらいを浮かべ、近所の子供たちをそこに入れて水遊びに興じたという話があり、ある時には北辰一刀流の腕前を披露するために、庭に飛び交っている蛍を刀で切ったところ、蛍がばらはらになって飛び散り、そこで北斗七星の形となって浮かんだという。これはあまりにも出来すぎた話になっているが、このような誇張された逸話が言い伝えとして残っているところが龍馬らしい。

龍馬と良助か酒を飲みながら、碁遊びに夢中になっていた折、庭に干してあった籾が夕立の雨にいくら濡れていても、そのうち女房が気がついてしまい込むであろうと平気だったというから、良助もまた豪放な人物だったと思われる。(広谷喜十郎)

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◆田中良助旧邸の建物及び石垣について


今回の復元工事で、建築時の大工さんの書いた墨書が軒桁の仕口から見つかりました。この墨書には、古い年代と新しい年代の二つの年代が記されています。

 古い墨書  文久二年戊之正月吉日 大工 佐吉作 松印

 新しい吊書 明治弐拾壱子年旧九月廿日 遠(建)替 柴巻村 永野弥之助作

復元時の調査や家人の聞き取りから、文久二年(一八六二)に建てられた屋敷は、現在の建物の西の畑にありました。建物の形式は、土佐の山間部によくある民家型であったと思われます。古い墨書には「文久二年正月」と日付が明確に記されていないことから、文久元年に棟上げがおこなわれ、文久二年の正月は新しい建物で新年を迎えたいとの良助の願いが込められていたと推測されます。

建物に使われている再々利用の古材の多さから、龍馬が幼いころ手に触れた家も同じような形式だったと思われます。また文久元年十月一四日に龍馬が良助から金二両を借用した時は、完全な形で完成はしていなくとも、この屋敷で借用証文が取り交わされ、龍馬が寝泊まりしたことでしよう。

明治一九年に犬きな台風が高知県を襲い、良助邸も被害にあったようで、明治二一年(一八八八)風当りの少ない現在地に移築されたことが新しい墨書から推測されます。このとき建物は土地の形にあわせて縮小され、屋敷の南側には風除けのための石恒が西の屋敷の石を一部転用し、新しく築かれました。

この墨書の発見により、田中良助旧邸は.一四二年以上を経ていることが明確となりました。その上に、坂本龍馬との深いかかわりからも貴重な建築物といえます。(上田堯世)

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