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2013年1月 6日 (日)

★坂本龍馬青春の地、田中良助旧邸訪問-①

昨年、2012年11月18日(日)に、坂本龍馬青春の地として知られる、高知市柴巻にある田中良助旧邸と八畳岩を訪ねた時の、動画をアップしました。

坂本家は、田中良助邸の周辺に、坂本山と呼ばれるほどの持ち山があり、田中家はその管理を引き受けていた家。このため龍馬もよく柴巻を訪ね、良助と兎狩りや碁や将棋を楽しみ、邸横にあった池では、子供たちとよく水遊びをしたと伝えられる。

◆龍馬の借用証文
龍馬が書いた借用証文は不思議な借用証文です。なぜかというと、青年龍馬に対して担保なしに、しかも1人の保証人もつけずに、良助が二両という大金を貸しているからです。これが田中家の襖の下張りから、偶然に見つかった時には真偽の論議がおこったほどでした。

しかし、その後発見された田中家の文書の中に、借用書の下書きが出てきて話題になりました。これは良助か下書きを龍馬に示して、これを参考に書いて下さいと言っているようで、担保物件や保証人の箇所がないことから、はじめから良助か龍馬に要求していなかっ
たことがわかります。それだけ両人の間柄は、普段から親しい関係であったといえます。

金二両の使い道については、龍馬は表向きは讃州丸亀方面に剣術視察と称して旅行することになっていましたが、実は土佐勤王党首領の武市半平太の密命を受けて長州から大阪方面まで足を伸ばすことにしており、その旅費の足しに充てたのです。当時の長州は藩の方針として公武合体論をとり、急進的な尊王攘夷派を押さえていましたが、それに対して長州の久坂玄瑞ら勤王志士たちは自分たちの主張を実行しようとの決意を持っていました。そんな長州の熱情に接した龍馬は、大きな影響を受けたと思われるし、わざわざ大阪方面まで足を伸ばしたのは、国内情勢が大きく変化しているありさまを身を持って見ておきたいという強い衝動があったに違いありません。

それだからこそ、これらのことが引き金となり、約一ヵ月後文久二年(一八六三)三月二十四日に沢村惣之丞とともに土佐を脱落しました。

丸亀に出立の前に、龍馬は柴巻で数日間を過ごしています。これは、単に金策にいっただけでなく、良助に政治的に決断しようとしている思いを打ちあけていたのではないでしょうか。良助も借用証文を龍馬の形見のつもりで保存していたので、坂本家へ返済の催促をしませんでした。

龍馬は良助と八畳岩の上で酒を酌み交わしながら、日本の行く末などを語りあって、日本の表舞台へ出る覚悟を披瀝していたかも知れません。龍馬二十七歳、良助四十二歳のときでした。(広谷喜十郎)

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